南米のボリビアとペルー、アルゼンチン、アラスカ、サハリン、ロシア
世界一周に行きたい方からの投稿です。
"もしも世界一周する海外旅行で私が行きたい場所を列挙すると、まず南米のボリビアとペルー、アルゼンチン、アラスカ、サハリン、ロシア、ウズベキスタン、タイ、インドネシア、アゼルバイジャン、トルコ、エジプト、アラブ首長国連邦、ルーマニア、ポーランド、フランス、デンマーク、マルタ島、マダガスカル島、モーリシャス、ケープタウン、オーストラリア、小笠原諸島などに行きたいです。
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また世界一周する海外旅行で私がやりたいことを列挙すると、
ボリビアではウユニ塩湖を歩くこと、ペルーでマチュピチュ遺跡を自転車で回ること、アルゼンチンの大自然を満喫すること、アラスカでは野生動物の観察とサーモンを食べること、サハリンから日本列島を見ること、ロシアで戦闘機に試乗することまた赤の広場に行くこと、ウズベキスタンで麺料理を食べることとブルーモスクにいくこととカスピ海を見に行くこと、タイでアーユルヴェーダ式マッサージとヨガの免許をとること、インドネシアでラマダンをしてインドネシア料理を体得すること、アゼルバイジャンで遺跡と古城巡り、トルコで遺跡を気球から眺めることと屋台の食べ歩きをする、エジプトでサハラ砂漠をバギー走行しナイル川を船で下る、そしてピラミッドに行く、アラブ首長国連邦でラクダレースを見ること、ルーマニアで遺跡を見ながら地元のレストランまわりをすること、ポーランドでポーリッシュ雑貨とポーランドのお菓子を食べること、フランスでは本屋を巡って日本の漫画を買い現地でフランス語を習得すること、デンマークで白夜の夜を過ごすこと、マルタ島で友人を作ること、マダガスカルで自然観察をすること、モーリシャスの海でダイビングをすること、ケープタウンでビーチを満喫して喜望峰にいくこと、アースとラリアでエアーズロックの夕暮れを見ること、小笠原諸島を順に北上することです。
とくに2016年2月3月あたりに私が行きたい場所を列挙すると、
やはり南米のボリビアウユニ塩湖とペルーのマチュピチュ遺跡は行ってみたいです。南米で私がやりたいことを列挙すると、マチュピチュは遺跡は行くまでが登山のようなツアーもあるのでそこでゆっくり時間をかけて最後にたどり着いた感動を味わいたいです。ペルーではナスカの地上絵や砂漠にあるオアシス、ワカチナも見れるといいです。また南米は料理がおいしいのでホームステイなどをして南米料理を学びたいです。
とくにとうもろこしの粉を使った料理を学びたいです。"
"好きなように旅行に行けるとしたら世界一周旅行がいいですね。
世界一周する海外旅行で私が行きたい場所を列挙すると、ヨーロッパではイタリア、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツといった国々が挙げられます。北欧も訪れておきたいですから、スウェーデンやノルウェー、フィンランドは外せません。ヨーロッパ以外の地域ではアメリカとハワイ、シンガポール、オーストラリアが定番でしょう。
世界一周する海外旅行と言っても観光地として整備されている場所の方が楽しめますから、やはり定番の観光地は一度は訪れてみたいものです。
ヨーロッパのどこも歴史的な建造物が多く、中世を思わせる雰囲気が何とも言えませんね。海外旅行の醍醐味は、日本では見ることができない景色や建物を見ることでしょう。中でもイタリアは世界遺産が非常に多く一見の価値があります。
日本でも馴染みの深いイタリア料理ですが、イタリアに行けば本場の料理が堪能できるのです。イギリスは英語が通じる国ですし観光しやすいというメリットがあります。まるで映画や絵本に出てくるような田舎の町並みから、洗練された都会的な雰囲気が存分に楽しめる観光地です。
ヨーロッパで私がやりたいことを列挙すると、まずはお城巡りです。お城に住んでいた貴族の世界が垣間見える場所ですから、煌びやかな世界を一度でいいからのぞいてみたいものです。
もちろん料理やスイーツに舌鼓を打つのも旅行の楽しみですね。イタリア料理だけでなくフランス料理やベルギーのスイーツは本場の味を知っておきたいという方も多いでしょう。
特にスイーツは味以外に見た目の可愛さも魅力的です。
世界一周する海外旅行ですからヨーロッパだけでなくアメリカ方面にも行きたいものです。アメリカはエンターテインメントの国でもありますし、日本では想像もつかないような雄大な大自然も広がっています。
アメリカの中で私が行きたい場所を列挙するとグランドキャニオンをはじめ、ゴールデンゲートブリッジ、ナイアガラの滝、自由の女神像といった定番の観光スポットです。
世界中から観光客が押し寄せる人気の場所で自然の大きさを体感してみるのもいいでしょう。
エンターテインメントはラスベガスやニューヨーク、ロサンゼルスといったエリアですね。アメリカで私がやりたいことを列挙すると、やはり本場のショーを鑑賞することです。ブロードウェイでミュージカルや舞台を鑑賞すれば一生の思い出になること間違いなしですね。"
"世界一周する海外旅行で私が行きたい場所を列挙すると、そしてその時に私がやりたいことを列挙すると、次のようになります。
まずは手始めに東京からです。ここだけでもすぐに10か所くらい思いつくのですが、まずは、かき氷が大好きなので、谷中のひみつ堂に行きます。
冬だと空いてるので最高です。そして、せっかくだから谷中の街を散策してしみじみし、その夜は日本橋のマンダリンオリエンタルに泊まります。
ここは、ロビーが建物の上の方にあって、本当に無駄のないお洒落な設計で最高なのです。
同じホテル内のミシュランレストランで軽くデイナーを取ります。
そして、次の日には台湾に行きます。ここで、またもやかき氷を食べます。東京に上陸してきたのではなくて、本場で食べるのが良いんです。
そのあと、千と千尋の舞台になったジォウフェンに行って、写真を撮りまくります。
テイタイホウで小籠包を食べて、出発です。
オーストラリアに行きます。グレートバリアリーフで、体験ダイビングをするのです。そして、パラセイリングをしたり、観光客がしそうなことはできるだけたくさんしたいです。
次に、ハミルトン島。
ここには本当に手つかずの自然が残されており、街中をふつうに巨大なオウムが飛び回っています。
そういう動物優先の街でしばらく滞在して、異文化を感じたい。
それから、またもや飛行機に乗って、今度はニュージーランドに行きます。
ここで、星空ツアーに参加し、息をのむような、銀河鉄道が走っていそうなそ空を見上げて、何もかもリセットしたい。
そしてホビトンに行き、ロードオブザリングの世界に浸ります。
それから、ハワイに行きます。
ハワイは、オアフ島です。コオリナに泊まり、ゴルフをしたうえに、デイズニーリゾートの雰囲気にも浸り、ハワイ限定のダッフィーをお土産に買います。
そして、ワイキキに車で行き、DFSでお買いもの。それから、日本料理のカイワに行って久々に本当に美味しい日本料理を堪能します。
次の日はハイアットリージェンシーに宿を変え、その中のマッサージサロン、ナホオラスパに行って旅の疲れをいやします。
そして、モアナサーフライダーのバニヤンベランダで昼食をとり、そのあとカラカウア大通りを散策して、また場所を変えます。
最後は日本に戻ってきます。そして、デイズニーリゾートに行きます。
疲れているので、シーの方に行きます。そして、お昼はSSコロンビア号の中のメインダイニングでゆっくりと。オマールエビのグリルを食べます。
以上が、世界一周する海外旅行で私が行きたい場所を列挙すると、そして、私がやりたいことを列挙するとツアーでした。
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"世界一周する海外旅行で、私が行きたい場所を列挙すると、ギリシャのペラ・ヴェルギナ・ミエザ・ディオンとトルコのハリカルナッソス・イッソス・ゴルディオン・イスタンブールの考古学博物館、エジプトのシーワオアシスのアメン神殿・アレクサンドリアとイラン ペルセポリス及びウズベキスタンのサマルカンドです。
これらは全てアレキサンダー大王に関連した地域です。世界一周する海外旅行で、現在は訪問不可能な地域もありますが、私がやりたいことを列挙すると、彼に関連した土地に立ち、その風を感じて、残されたものを目にしたいと言う事です。
彼は僅か32年の生涯のうちに世界史を変えました。
ペラは古代マケドニア王国の首都で、彼の生誕地です。王宮跡や、彼をモデルにしたと言われるライオン狩りのモザイク画が残されています。
ペラの北東約80㎞の地点には、アレクサンダーの父、フィリッポス2世の墳墓のあるヴェルギナ遺跡があります。ミエザは「アリストテレスの学校」と呼ばれ、若いアレクサンダーがギリシャを代表する哲学者アリストテレスの教えを受けた場所です。ディオンはオリンポス山の麓にあり、その名称もゼウスに由来している聖地で、アレキサンダーは紀元前338年、ここから東征に出発しました。
ハリカルナッソスは東征中唯一落とせなかった要塞です。その後、イッソスの戦で決定的な勝利を得、ペルシャ帝国滅亡の始まりとなりました。ゴルディオンは古代アナトリアで栄えたフリギア王国の首都で、当時の王侯の立派な墳墓が残され、「ゴルディアスの結び目」にまつわる話が残されています。
その後エジプトのシーワオアシスでアメン神の子という神託を受けました。彼は遠征先の各所に自身の名を冠したアレクサンドリアの街を建設しましたが、エジプトのアレキサンドリアはその嚆矢とされています。
現在のイラク北部にあたるガウガメラで勝利し、ペルシャ帝国を滅亡させます。やがて中央アジアに侵攻し、ウズベキスタンのサマルカンド付近まで北上しましたが、ソグド人の抵抗に遭遇しました。その後のインド遠征では、アフガニスタンのカイバル峠を越えて進軍しました。
バビロンで熱病の為急逝し、しっかりした後嗣を残さなかったため、帝国はたちまち崩壊しました。彼の遺体はその後行方不明となり、墓の存在も知られていません。しかし、トルコのイスタンブール考古学博物館には、彼の棺と伝えられる華麗な石棺が収められています。